新年の御挨拶

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年は悲しみに満ちた一年でしたが、本年は少しでも前向きに、少しでもいい年に、少しでも光を見つけられるような一年になれば、と心から願っております。

今年も決して更新頻度は高くないですが、ツイッターでは書き切れないことなどを中心に、できるだけフェアな立場から気ままに書いていきたいと思っています。時に誤りを掲載してしまうこともあるかもしれませんが、その辺りも是非温かい目で見守って頂きますようよろしくお願いいたします。

2012年が皆さまにとって、素敵な一年になりますように。

2012年1月吉日 Yamatoxxx

総括2011 前篇

激動。

まさにそんな一年だったように思う。忘れたいこと、忘れられないこと、絶対に忘れたくないこと……本当に沢山のことがあった。

今日、12月31日でその2011年も終わる。

「総括」ということで、その激動の一年を振り返っておきたい。

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  • 東日本大震災

2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大の規模、マグニチュード (Mw) 9.0を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及んだ。この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.5mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらし、日本にとっては2011年を象徴する出来事となった。(出典:Wikipedia

1)2011.03.11 14:46:18

2011年3月11日14時46分18秒。

その時、僕は恐らく原チャリで移動中だったと思う。僕がいた地域は震度2か3くらいの揺れで、移動中だったためか、あまり地震自体には気付かず、その後合流した友人と飲食店に入って、そこで映されたテレビの映像を見て愕然とした。

悪夢でも見ているような光景。

それを現実と理解するまで少し時間が掛かった。

帰宅して、テレビとパソコンを見つめ続け、時々ツイッターでリツイートしたり、情報収集していたら、気付いたら朝になっていた。

震災からしばらくの間は、多くの方が亡くなり、行方不明になられた深い悲しみと、自衛隊、警察、消防、ボランティア、その他多くの方々が活動される感動・感謝・喜びと、行動としてほとんど何もできていない自分に対する苛立ちが複雑に入り交じる日々が続いた。

だけど、そんな僕個人の感情なんて本当にどうでもよくて、とにかく願うのは被災された方々が一刻も早く心安らぐ生活を送れるようになることである。

本当にそれだけを願っている。

2)福島原子力災害

マグニチュード9.0の地震、及び大津波は福島第一原発の事故という大災害をももたらした。原子力発電所や電力会社、電力政策等については事故後、数多の批判に晒されている。僕はそれに関してとやかく言うつもりはないし、というか東京電力の言動等に関する疑問については同意しているので、是非原発に対するスタンスにかかわらずフェアな立場で正すべきところは正さなければならないと思う。

正直、僕は福島原子力災害について、報道以外の情報にはあまり触れられていないし、またそれを読み解く専門的知識に欠けているので、言及できる立場にはない。だが、福島原子力災害以降、「脱原発」と「原発推進」という不毛な枠組みのなかで交わされている議論のなかで幾つか思うことがあったので、それについては言及しておきたい。

原発等に関する考えについては、ツイッターでもつぶやいてはいるが、それらのツイートは「脱原発」「原発推進」どちらかに入れられるのなら、恐らく後者になるだろう。だが、それは正確ではない。今後変わることもあるだろうが、現段階での僕の原発に対するスタンスは”将来的な脱原発依存には基本的に賛成”であり”急進的な脱原発に対しては断固反対”である。特に強調しておきたいのは僕が賛成するのは「脱原発」ではなく「脱原発依存」である。つまり、今のところ原発をゼロにするべきとは考えていない。

理由として、第一に現状では原発ナシでは電力不足に陥るという点である。脱原発派の人はよく「原発ナシでも電気は足りている」という旨の発言をされるが、では何故節電をするんだろうか。また、原発が稼働できない分、間違いなく火力発電所にその負担が掛かっている。それは福島原子力災害以降の火力発電所の故障を見れば明らかであろう。加えて、我が国は電気がなければ社会が回らない構造である。無駄遣いは改めるべきではあるが、国内産業を支えるためにも電力は潤沢に使える必要がある。既に不景気だというのに節電を強いられるようでは、企業の”亡命”が加速し、更に景気が悪化する可能性もある。それが復興の足枷になってしまう可能性も、である。

第二に、エネルギー政策は中長期的な計画に基づくのが大前提だと考えるからである。急進的なエネルギー政策の転換は絶対にすべきではない。必ず中長期的な視点に立ち、将来を見据えた上で議論を交わすべきである。福島原子力災害以降、しばしば「地震大国の日本に原発は適さない」という指摘がなされている。確かにその指摘に納得する点もあるのだが、そうではない部分も多い。特に思うのは、そもそも日本に適している発電方法などあるのだろうかという疑問である。地震大国の日本に原発が適さないのであれば、メタンハイドレート等に期待されているが、現状では資源のない日本には火力発電はそぐわないし、大量に電気を消費する日本には安定供給の点に問題のある自然エネルギーなどそぐわない。結局、日本に適した発電方法など現時点ではないのではないだろうか。当然、リスクの大小はあるから、そのリスクをいかに軽減するかという点が重要となる。今後、原発に対するスタンスにかかわらず、そういう観点で議論が進むことを期待する。

更にこれは理由として挙げるべきではないとは思うが、脱原発・反原発の言動に一切共感できないという点がかなり大きい。たとえば、ある国立大学の教授が福島を差別するツイートを連投したことで炎上状態になった。彼はこのあとも同様の言動を続けているが、僕は決してこのような行動は支持できない。また、脱原発・反原発デモで「葬儀デモ」というのが行われたりもした。東日本大震災で数多くの方が亡くなり、未だに行方不明の方も数多くおられるというのに、何故そういう言動ができるのか、本当に神経を疑う。当然、こういうどうしようもない脱原発・反原発の人間はごく少数だと信じてはいるが、こういう人間が支持されている時点で彼らを見限っている。

だからこそ、僕は急進的な脱原発には徹底して反対する。

今後の原発議論に関して期待するのは、決して福島を差別することなく、原発に対するスタンスにかかわらず、とにかくフェアに将来を見据えた議論をすることである。

3)国内外からの支援

東日本大震災に際して、諸外国から数多くの支援や温かい想いが届けられた。

「親日国」として有名な国から、国名程度しか知らなかった国、申し訳ないが国名も初めて聞くような国からも多くの支援や想いが届けられたのは、本当にありがたいことであり、感謝の念に堪えない。

彼らのためにも必ず日本は復興し、今後彼らの発展に寄与することが日本の責務だろう。

僕個人としては、特に台湾に対する感謝が本当に大きい。有志により企画された「謝謝台湾計画」で少しでも感謝の気持ちが届いていれば幸いである。御礼も込めて、いつか必ず台湾に足を運びたいと思う。

「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」(世界各地でのエピソード集)

「謝謝(ありがとう)台湾」 感謝広告の募金に1800万円、ツイッターで広がる

4)復興へ

復興は少しずつだが、一歩ずつ進んでいる。

政治の問題、福島原子力災害による問題、それ以外にも多くの課題が残っている状況ではあるが、一歩ずつ進んでいくしかない。大切なのは、僕ら国民がこの現状に真摯に向き合い、何ができるのか真剣に考えること、そしてこの悲しい経験を将来に活かすしかないということである。もう「想定外」なんて言葉は許されない。

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ところで、財団法人日本漢字能力検定協会が選ぶ「今年の漢字」に「絆」が選ばれた。また、ユーキャン新語・流行語大賞の候補には「がんばろう日本」が挙げられた。

これについて、僕は正直複雑な思いだった。「絆」や「がんばろう日本」は、それ自体は意味のある言葉だと思う。しかし、震災を踏まえてのこの言葉は、使い手によって大きく意味の異なる言葉だと感じる。

被災者と非被災者。それぞれによって大きく意味が異なる。僕は前者が使う「絆」や「がんばろう日本」については心から共感できるし、継続して支援していきたいと思う。だが、後者については何とも言い難い。

震災により生じた多くの瓦礫が復興の足枷になりつつある。「がんばろう日本」という言葉を使うのであれば、瓦礫の処理を手助けするのが当たり前だろう。しかし、現実はそうでもない。当然、福島原子力災害もあることから、瓦礫の放射性物質について敏感になるべきだとは思う。しかしながら、一般ゴミと同程度の放射性物質しか含まない瓦礫までも受け入れを拒否するのが「絆」なのだろうか。

ツイッターで一方的にフォローさせていただいているある方が「放射性物質を含まない瓦礫の受け入れも徹底的に拒否するし、福島を差別するけどがんばろう日本」というツイートを皮肉を込めてされていて、僕は言い得て妙だと思った。

僕は一般ゴミと同程度の放射性物質しか含まない瓦礫については、間違いなく日本全体で協力して受け入れるべきだと考えている。主に脱原発派が「穢れ」として扱っている瓦礫も、元々は人々が生きた証である。捨てたつもりもなく、そうならざるを得なかった生きた証である。それを「穢れ」として扱い、受け入れを断固拒否する正当性が一体どこにある?

僕は極端に放射性物質を含んだ瓦礫を受け入れろと言っているわけではない。一般ゴミと同程度の瓦礫は積極的に受け入れるべきと言っているにすぎない。それでも拒否する彼らの正義は一体どこにあるんだろうか。

本当に「絆」や「がんばろう日本」と思うのであれば、被災地を差別する必要などどこにもない。「穢れ」でもなんでもない生きた証を拒否する理由などどこにもない。

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繰り返しになるが、僕は被災された方々が一刻も早く心安らぐ生活を送れるようになることを切に願っている。復興のため、できることは何でもしたい。

CROW

CROW

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「政権担当能力」とTPP

昨日(2011年11月16日付)の産経新聞の主張(社説)に続き、今日(2011年11月17日付)は読売新聞の社説に次のような文面が踊った。

自民党 TPP推進は政権担う条件だ

自由貿易の拡大による成長戦略は、自民党政権が長年取り組んできたことではないか。

環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加問題を巡る自民党の姿勢には、疑問符を付けざるを得ない。

谷垣総裁は16日、全国の町村議会議長を前に、野田首相のアジア太平洋経済協力会議(APEC)での交渉参加表明に絶対反対すると主張してきたと強調した。その上で「民主党政権に国益を守る交渉が出来るのか」と批判した。

この期に及んで何を言っているのか。参加を表明しなかったらカナダ、メキシコにも後れを取り、深刻な状況を招いただろう。

経団連の米倉弘昌会長は、「日本だけが取り残され、国際社会からの信頼を失いかねなかった」と指摘した。自民党の主張が、政権に復帰した場合には政権運営の「足かせ」になるだろうと苦言を呈したのも、もっともである。

政権党として経験を積んだ自民党だからこそ、日米同盟と自由貿易体制の重要性について民主党より深く理解しているはずだ。

それなのに、党幹部からは「TPPはアジアの成長を取り込むツールではない。やはり中国、韓国、インドを巻き込む新たな枠組みが必要ではないか」といった非現実的な発言さえ出ている。

野田首相のTPP参加表明は拙速として、参院の問責決議も視野に追及するという。米国をはじめ、関係国との厳しい交渉に入ろうというのに、自民党は政府の交渉力を弱めたいのか。TPPを政争の具にしてはなるまい。

石破茂・前政調会長は、「首相が交渉に参加すると表明した以上、我が党が離脱すると言ったら日米関係はもたない」と語り、自民党がむしろ、政府に政策を要求すべきだと主張している。

日本の輸出産業の競争力をどう強化し、農業をいかに再生するのか、自民党の政策を聞きたい。

社会保障・税一体改革の消費税率引き上げ問題も、同様である。どの政権でも財政再建は直面する課題だ。自民党はもっと積極的に取り組む必要がある。

与党との協議に公明党は応じる方針を示している。自民党があくまで協議を拒むのなら、それは党利党略でしかない。

自民党は第3次補正予算案成立後、野田政権との対決姿勢を強め、衆院解散に追い込む構えだ。

だが、世論調査で自民党の支持率は、民主党の支持率を下回っている。従来通りの対決一辺倒では、国民の支持は得られない。

本当に疑問なのは、なぜ自民党が政権を担うにはTPP推進が条件なのかということである。

当然、自民党が政権を担っていた時代に推進してきた自由貿易の拡大を踏まえて、ということであれば一定の理解はできる。しかし、当時とはあまりにも条件が違う。

昨日も述べたが、急激な円高で国内産業が苦しんでいる。そこへの東日本大震災である。それらの対策が不十分にもかかわらず、そこに追い討ちをかけるTPPを推進しろと、大手マスコミ各社が声高に叫ぶ理由が全く理解できない。

そもそもTPPをあたかも農業問題かのように摺り替え、デメリットをほとんど報じてこなかったマスコミがどのツラ下げてそのようなことを言っているのか甚だ疑問である。

野田総理がTPP交渉参加を表明したのだから、当然それに対応することは政党として必要だろう。TPP参加の是非に限らず、農業政策、円高対策…それ以外にもやるべきことは数えきれないほどある。大臣の首を取ることに固執せず、やるべきことを優先してほしい。(ダメな大臣をさっさと変えるべきか、やるべきことを優先すべきかという問題はかなり難しいとは思うが…)

繰り返しになるが、僕にはTPP推進と政権担当能力の関連性が全く分からない。…と言うより、全く関係ないだろ、と言わざるを得ない。

そのような的外れな批判を繰り返し、TPP推進を続けるマスコミに何かを論じる資格などもうないのではないだろうか。

「TPP反対」では政権を担えないのか

本日(2011年11月16日付)の産經新聞の主張(社説)にこのような文章が上がっていた。

【主張】TPPと自民党 「反対」で政権を担えるか

これが長年、政権を担ってきた政党かと思わざるを得ない。野田佳彦首相による環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への交渉参加判断を自民党が「拙速だ」と厳しく批判し、内閣不信任案提出なども視野に入れていることだ。

自由貿易拡大や日米同盟の堅持・深化を追求してきた自民党はどこへいったのか。根本的問題は、党内に賛否両論を抱えてTPPへの評価を明確にしないまま、この問題を政権攻撃の道具にしていることだ。

自民党が直視すべきは、経団連の米倉弘昌会長が15日、同党との意見交換会で「もし参加表明しなければ、外交の孤立を招き、国際的信頼を失っていた」と語ったことだ。この発言は、自民党の茂木敏充政調会長らが「米ハワイでの首相の参加表明は拙速だった」と述べたのに反論したものだ。

この日の参院予算委員会でも、自民党の山本一太氏は首相の参加表明を厳しく批判した。民主党内には首相の交渉参加発言を「事前協議にすぎない」とする解釈があり、その曖昧さを厳しくただしていくのは当然だ。

しかし、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の直前にまとめた「参加表明には反対」という自民党見解を見直さなければ、国益を確保するためにどんな交渉戦略や態勢が必要かといった議論の深まりは期待できない。

自民党は10日、衆院で参加表明に反対する決議案を提出した際にも、「決議には賛成できない」と主張していたTPP賛成派の小泉進次郎氏の造反を恐れて、議院運営委員会の委員から外してしまった。十分な議論もなく、賛成論を封じるのはおかしい。

TPP参加に「絶対反対」を唱える農業団体など関係業界との連携を強める自民党の姿は、米国とともにアジア太平洋の新たな貿易経済共同体を構築する動きを阻害していると受け止められよう。

耳を疑うのは「米国と組み過ぎて中国やアジアを除外する形になると日本のためによくない」という谷垣禎一総裁の発言だ。日米同盟の重みを分かっているのだろうか。米中との関係を等距離にする「日米中正三角形」の方がよいというのなら論外である。

TPPの意義を否定して、一部の業界団体との協力関係を優先させるなら、自民党は国民政党としての支持を失うだろう。

はて…産経新聞は何を言ってるんだろう。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関して、大手マスコミ各社は総じて推進の動きが強かった印象である。

僕自身は現段階でのTPP参加に対しては慎重な立場であるが、別にTPPのメリットを否定しているわけではない。少なくとも、東日本大震災で国内の産業等が疲弊しており、それに加え円高対策も不十分な状況でのTPP参加はあり得ないという考えだ。そのような観点から反対している政治家も政党を問わず、少なくない印象である。

確かに、自民党に限らず「農水族」と言われるような議員が、産経新聞の指摘する「一部の業界団体との協力関係を優先させ」ていたかもしれない。だが、そのような指摘を、TPPがあたかも農業問題であるかのように焦点を意図的に絞っていたマスコミが言える立場だろうか。

また、産経新聞が指摘する「党内に賛否両論を抱えてTPPへの評価を明確にしない」という点は問題なのかもしれない。だが、同党は「TPP交渉参加は拙速」としているわけだから、極端に問題視できるような言動でもないように思える。

先ほども述べたように、僕は現段階でのTPP参加については慎重な立場である。だが、農協のような利権を守るつもりはさらさらない。また、福島原子力災害がなければ、日本の農産物が世界で戦える可能性は十二分にあったと思っている。だが、東日本大震災が起こり、福島原子力災害が発災してしまった。それに加え、円高等経済的な問題もある。そのような状況だからこそ、TPPのような大きな問題に対しては、慎重に議論すべきではないか。

また、TPPはあくまで交渉参加に参加する段階であり、実質的なTPP参加ではないという指摘もある。だが、落ち着いて考えて欲しい。自民党政権時代もそうだが、特に民主党に政権交代してから、外交に関してマトモに交渉できたことがあっただろうか。

民主党の議員というのは、どうも海外で勝手な発言を国際公約にしてくる悪癖が共通してあるらしい。僕はそう思っている。

鳩山然り、菅然り。

そのような人間に、TPPの交渉を任せられるか?

まぁ、反・民主党政権を貫いてきた産経新聞には、釈迦に説法だとは思うが。

産経新聞が本当にTPP参加が国益に適うと思うのであれば、徹底的にそのメリットを説き、反対派の意見を退けるような記事を掲載すればいいだけだ。

少なくともTPP反対を農協等の団体との連携の観点から読み解くのは適切ではない。ましてやそのスタンスを政権担当能力と関連付けるのは、ピントがずれていると言わざるを得ない。